院長の森川が入ってきた。黒く日焼けした皮膚、鼻の下に揃えたヒゲ、やや角張ったエラ、細い目、強く響く声、頭にはモスグリーンの手術用の帽子をかぶっている。端からのぞく髪は黒々としている。疲れを感じさせない精悍な顔は、60歳を越えた人のものにはとても見えない。森川は外部からの飛び込み参加者の私をまったく気にする風もなく、話し始めた。「原始から野蛮と貧困と戦乱の時代には、毛沢東曰く『紅装よりむしろ武装』。それが進化と平和と浮遊と文化文明の時代になると、より優雅に美しく生きようという方向へ変わってきた。日本人はお金を持っていても、心はまだ原始と野蛮の時代のまま。だから、美容外科なんか邪道だという。本当は、邪道と考えることが、邪道なんですけど」「美容外科に対して否定的な考え方が、経済摩擦の原因でもあるんです。フォード大統領の奥さんは、誕生日のお祝いにシワとり手術をしてもらったといいますからね。理解がないことが文化摩擦になる。日本人は経済的には錦を飾っても、心はボロ。日本は2千年の歴史を持っていたが、それをどこかにやってしまった。戦後、モノや金は立ち直ったけれど、心は貧困から立ち直っていない。立ち直るには、三代くらいはかかると思うのよ」。四方の壁には、模造紙にマジックで書かれたような図や表が所狭しと張り付けてあった。たとえば横軸に時間−終戦、ベトナム戦争、石油ショック、現代という文字が並んでいる図。縦軸の「文化・進化の度合い」は、終戦でほとんどゼロに落ち込み、そこから上昇を見せ、ベトナム戦争でまた落ち込み、再び上昇、そして石油ショックでまた少し落ち込み…と波形の上昇曲線を描いている。また別の図には、時間軸にビッグバンだの、ピテカントロプスだの、ネアンデルタール人だの、氷河期だの、律令だの、江戸という文字が躍り、ずいぶんダイナミックな時間軸のとりあわせだな、とちょっと楽しくなる。「人間の思考内容や行動様式は大きな歴史の流れの中では塵のようなものですが、わずかな時間でも人間をガラリと変えてしまうのです。たった数年間でも太平洋戦争の影響は大きく、人間の向上心を失わせてしまったのです」と森川が自らの歴史観を開陳する。4人の患者はうつむきかげんにおとなしく聞いている。それと対照的に、看護婦とカウンセラーの2人はてのひらを胸元に組み、うっとりした目で森川を見つめている。流れ出る言葉をその胸にキャッチすることに喜びを感じているのか。「美人というのは、美人を作る環境に対する適応症候群であって、進化と富裕と平和と文化文明に適応するような状態を作ろう、というのが美容整形。その意味で、ここを学校だと思ってほしい。だから入学試験も中間考査もあるんですよ」「人間の全体集合の中に、美学集合が入っている。そしてその中に、外面美学集合と内面美学集合が入る。では人間学から話しましょう。何回も聞く人は耳にタコができるわな。でも、またお経のようで、何となく安心感があるでしょう?私はカリスマ的だと言われますが、カリスマではない。カリスマはペテン師だから、きらい。ましてやオウム真理教なんて、大嫌い。私は無神論者だけれど、あんた方は無神論者になるほど勉強していない。私はアリストテレスからソクラテス、ショーペンハウェル、ヘーゲルまで勉強した。人間は考える葦である、ということまでやって、まだ未知のことはたくさんあるが、私たちが現在存在しているのは偶然を含めた必然であるということをわかった人が無神論を言うならよい」と、わかるようなわからないような言葉が、口をついてよどみなく流れ出す。たしかにお経を聞いているような妙な安心感が部屋を包んでいた。なんとなく虚しい日常生活と違って、ここにはしっかりした座標軸がある。森川という座標軸が。言葉の流れに適当に身を泳がせている患者に向かって、いきなり森川から異様な質問が発せられた。「1960年代に南米アンデス山脈に飛行機が不時着した。人肉を食べたという話を聞いたことがありますか。あなたはそれについてどう思いますか」。聞かれた若い患者は、「うーん」と言ってうつむいてしまった。そこで森川は私へ質問の矛先をむけた。「そこの記者さん、アメリカ人の27歳のインテリだったらどうすると思うか、答えよ。答えられなかったら、ものなんか書けないぞ」。そんな抽象的な質問に答えられるかい、と思いながら私は言った。「その人が信仰や宗教を持っているかどうかで人肉を食うかどうか、行動もずいぶん変わると思いますけど」。森川は私の答をふんふんと聞いて、「佐川君なんかマスコミに登場させちゃいけないのよ、最低限、生きる権利を与えるだけでいいの」と筋違いの言葉を投げつけてくる。そしてまた、続ける。「私はここへ来た何万という患者さんに同じ質問をしているのよ。ここに統計が出ている。日本人の90%は、『生きるためなら食べる』と答えるんです。でも、生きるだけだったら、ブタでも生きる。さわやかに死のうじゃないか、という考えもあるのね。むき出しの本能なんか、アイデンティティにならない。むしろ後天的に作られる知性教養、情操、判断力、宗教、哲学によって作られるんです。日本人は太平洋戦争の後、死のことについて考えなくなった。戦争であまりにも死のことばかり考えたために、戦後はもう死なんて冗談じゃない、と。健康のためなら死んでもいい、と。あら、冗談にはもっと早く反応してほしいのよ」。森川はしゃべりつつ、順繰りに患者を自分の前の椅子に座らせて診察していく。「この頬骨削りはうまくいっているねえ!正面輪郭は完成に近づいているよ。オデコにも入れたし。あとは脂肪を抜いて…」、そこで看護婦が、「もちろん、目もいいわよ」と、すかさず合の手を加える。「完成に近づいている」という言葉がよほどうれしかったのだろうか。患者はニコニコと満面に明るい笑みを浮かべた。身体も気持ちもすっかりセットにして、森川に預けている、といった感じだ。私はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして目をそらした。いいんだろうか、こんな風にどんどん人を改造してしまって。ふだん倫理的でない自分が、どんどん倫理的になっていく。それにしてもアンデスの人肉についての質問は、美容整形といったいどう関係しているのだろう?「質問の意味を正確にとらえて答えられる人には美人が多いんですよ。『どう思いますか』と聞いているのに、10人中7人は、『食べますか、食べませんか』という質問に置き換えてしまうんですねえ。そして、しかたないから『食べる』とか答えるんですよ。まず質問の意味について考えて答えてこそ人間。思考がなくて、直接行動に移るのは動物と同じ」。もう一つ、森川が必ず出すという質問があるという。「情けは人のためならずという諺の意味を、正確に答えてください」。シワ取り手術をした中年の女の人は、もぞもぞと小さな声で答えた。「必要以上の情けをかけると…その人のプラスにならないという…」森川はそれみろ、といわんばかりに叫んだ。「あんたの年でそんな答をするなんて、許されないぞ。ぶん殴るぞ。その意味の諺は、情けも過ぎれば徒とか、別にあるでしょ。あんた、帰って旦那さんに報告しなさい。先生に怒られたって」「この間も怒られました」「じやあ、もう一度怒られたって言いなさい」。患者は困ったな、という感じの笑いを口元に薄く浮かべていた。森川も本気で腹をたててはいないが、答に対する不満がはっきりと読み取れた。「答を知っている人と知らない人で、人間は真っ二つに分かれてしまうんですよ!いつも頭で考えて行動しているか、ただ本能のままに行動しているか。人間に生まれてきたからには、よく考えて人間になる努力をしましょうね、というのが私の根本精神なんですよ!」。本能のまま行動するのは動物と同じで「醜い」、これが森川哲学の神髄らしい。美容外科医は外面をいじるわけだが、森川は外面と同じくらい、内面というものにこだわっているようだ。「外面としての顔の方が簡単に、短時間に他の諸要素とともに容易に矯正できるのです。何度も言うように心という内面を矯正するのはきわめて根気よく時間が必要なのです。逆に知的な活動を始めると、一瞬にして内面の向上が行われるものです」(『もっと美しくなれ』)。その一方で、「人工美こそ最高の美しさと誇りを持って、自分を美しくすることです」(同)と著書の中で主張する森川は、美容整形で外側を美しく改造し、長時間の講義で内面を美しくしよう、と提唱していたのだ。片や徹底的にシステマティックな形でチェーン展開し、パーツ交換のように整形美人を大量生産する医者がいる。それに対して、森川は独特な職人気質を持ち、自分の思想に沿った完璧な改造美人だけを頑なに造りだそうとしているかのようだ。たしかに患者側にも、廉価で均質なパーツを即時手にいれたいという人と、「美しくなる」物語にどっぷりと浸りたい、という両方のニーズがある。「地球というのは腐っているんです。人間は有機物の堆積の中にわいたウジ虫のようなもの。われわれはウジ虫同士、ウジ虫の人生を助け合っていこうではないか。戦争なんかしてはダメなのよ。美容整形なんか、ゴミ溜に咲いた徒花かもしんないね」。講義は延々3時間近く続いた。ゴミ溜に咲いた徒花…森川の頭の中では独自の体系ができあがっているのだろうが、なんだか脈絡のわからない部分もずいぶんあった。でも、ここに集う人々は、論理的展開とか整然とした文脈よりも、よどみなく次々と発せられる、力強い言葉そのものを求めているのかもしれない。私の正面の壁には「女性の俗的美醜の概念」という図が張ってあった。座標軸の上は進化、下は原始、横軸の左は男性的、右は女性的とあり、右上(座標軸からすると進化的で女性的という一番よい評価)から、左下(原始的で男性的という最低の評価)へむかって、斜めに単語が並んでいる。佳人、麗人、美人、シャン、並上、並並、並下、ブス、怪奇、醜悪、嘔吐、失神。すさまじい言葉のオンパレード。ここまではっきり美醜をことばで区分けする森川は、やっぱりある種の「カリスマ」ではないだろうか。その力がなければ、こんな図を作って相手を説得できない。「美」というものが虚構であるならば、「美」の基準を作る人間も、そのキャラクター、人格が強いインパクトを持たなければならない。患者たちは揺るぎない言葉で、「美の誕生物語」を信じ込ませてもらいたいのだから。美容整形は「私」の上に「新しい物語」を塗り込める試みでもある。森川は自らの強烈な「物語」を、集まってきた人々の顔に移植する力を持っているらしい。
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http://www.pejerrey.net/clip02.html